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16歳の結論


幸せを追求してきた結果今まで見えていなかったものが見えてきた気がします。

人間の幸せとは欲求を満たすこと。

その欲求には多くの種類があって一つにまとめることができません。
動物と同じで生命として生きようとする欲と、
人間だけしか持っていない欲があるのだと思います。

動物として持っている欲は生命活動の欲で、生きていくためにご飯を食べたり寝たりすることなのだと思います。
生きていくための欲、生存欲とでも言うのかも知れませんが、それらには大きな特徴があります。
それは満たされるとそれ以上欲しないというものです。

例えば食欲を例に挙げると、食べるという行為には限界があります。
ここで言う食べるは「おいしいものを食べる」とは違います。
ご飯を食べて空腹が満たされればそれ以上食べようとは思いません。
生きていく上で必要な分しか食べないのです。
食欲が満たされれば更に食べようとは思わない、つまり食欲そのものが満たされたのでそれ以上欲しないと言う事になります。
これが欲が満たされた状態であり幸せな時なのだと思います。

しかし人間には動物欲、生存欲とは異なる人間のみが持ち合わせている欲があります。
それを私は人間欲と呼びます。

人間欲とは、例えばそれは地位や名声を手に入れようとする欲であったり、人間社会の中で関わりを持とうとする欲であったり、自分以外の他者を支配しようとしたりする欲です。
これらの欲は動物欲とは違い満たされることがありません。
際限なく欲し続けます。
際限がないということは全てを手に入れようとするわけだから他人がいる以上必ず衝突が起こります。
衝突の究極は殺し合いだと思います。
そうなれば人間本来の欲望である「生きる」ことが困難になるので人間欲を無意識のうちに抑えることをするのだと思います。
だから人間は際限なく欲し続けることを忌み嫌い、それを悪と位置づけたのではないでしょうか?
その反対にあるものを善として。
そうなると悪にとって善は都合が良いと言えます。
自ら衝突を避けてくれる、つまり自分を滅ぼす脅威になり得ないのだから。
善を育てれば育てるほど自分が滅ぼされる脅威がなくなのだから悪は生きるためにも善を育てようとします。

善は悪によって作られたもの。

そして善は悪によって都合の良いものにどんどん進化されたのだと思います。
人間欲の究極は全てものを手に入れるとこ、つまり支配。
支配する側が悪で、支配される側が善。
悪は支配しやすいように善を定義し続けたのだと思います。
例えば暴力は悪だと決め付けるから善は暴力を振るったりしません。
ところが悪は自分が悪だから暴力を振るう。
そうなれば悪が勝つに決まってる。



人間の幸せは欲求を満たすことであり、
欲求を純粋に満たしているものは悪なのだけど、
人間欲には際限がないものだから悪は死ぬまで幸せを得られない。
だけど善は、
善であろうとするために欲求に忠実に行動していないから必ずしも幸せとは言えないのだけど、
欲求に際限を付けているから幸せは求め易いが、善であるが故に幸せにはなれない。

何も考えず感じないことができれば
それが一番の幸せなのかも知れない。
だけど、死ぬことが幸せになることだとは決して思わない。

私は善なのだろうか?それとも悪なのだろうか?
たぶん私は「善でありたいと願う悪」なのだと思う。



私自身が「善でありたいと願う悪」なら、その欲求に従って欲求を満たすために「善でありたいと願う悪」であろうと思います。


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